パアプウロード 第四章[願い…] その4 「アラスカに咲いた花(FORGET ME NOT)ー1」 「もう1年か…」 そういって彼女は凍りかけた後ろ髪をそっとかき上げ、呟いた。 ネナナ川の岸に立って、前にそびえたつ山々を見上げると、小さい頃住んでいた長野県松本市の思い出と重なるのだった。 美容室「パアプウ」に勤めていた”若大将”こと原美貴子が父親の都合でここアラスカに来てから早1年の月日が流れようとしていた。 そして今、アラスカの厳しく長い冬が終わろうとしていた。 彼女が住んでいるアラスカ第2の都市フェアバンクスは夏は30度を超える日もあるが、逆に冬は零下30度を下回る日々が続く。 原が今立っているネナナ川は凍りついている。 「アイス…クラッシック?」 原は怪訝そうに彼の顔を見たがすぐにゆるんでしまった。 首には昨日彼からもらったトナカイの角で造ったネックレスが揺れている。 「そうさ、アラスカの人達の一番の楽しみなんだ」 アイスクラッシックとは凍り付いたネナナ川がいつ溶け出すかを掛け合い、当った人には高額の賞金がもらえるという政府公認のギャンブルであった。 アラスカ中の人がそのアイスクラッシックを楽しみにしていた。 もちろん彼も例外ではない。 フェアバンクスの北側に位置するコーヒーショップ「アブクマ」でテーブルを挟んで反対側にいる男。 トミー小杉は両手をさかんに広げた得意のゼスチャーで熱心に原に話し掛けている。 3年前はあと1日早く溶ければ賞金が自分のものになったとか…。 トミー小杉の祖父はアラスカがゴールドラッシュに湧いた18世紀後半に一獲千金を夢見て日本からわざわざやって来たのだった。 しかし時すでに遅くほぼ金はとり尽くされてしまっていた。 日本に帰る金がないトミー小杉の祖父は、顔だちがエスキモーに似ていた事から。南極へのオーロラ案内人になったのだった。 しかしそれが彼に幸いした。 その後、世界各国からオーロラを見にくる観光客が後を立たなかったからだ。 トミー小杉の祖父は街に土産物店をだし「サテライトファクトリィ」と言う名の観光会社を作った。 それは今、トミーとトミーの父親に受け継がれていた。 原が彼と出会ったのは8ヶ月前だった。 両親と共にオーロラを見るためにトミーの観光会社へやってきた。 始めて会った時の印象はあんまりいいものではなかった。 背が小さく猿のような顔をしてるトミーは170cm近い身長を誇る原にとって粗野で原始的な生き物でしかなかった。 しかし始めてトミーの口から出た言葉に原は驚いた。 「ハラサン、キモチワルイトコロアリマセンカ?」 流暢とは言えない日本語で原に語りかけてきた台詞は。 偶然にも原が美容師をしてる時、シャンプー客に訪ねる言葉だった。 それは最後のすすぎの前に聞く、「お客さま気持ち悪い所ありませんか?」 他の美容師達は「お痒い所ありませんか?」と聞くところ原はかたくなにそのセルフを守り通した。 それは原の絶対の自信がさせたものだったが、時には店長と口論になったりした。 「店長…、みんな…」 トミーの言葉を引き金に原はパアプウの仲間の事を思い出した。 それは今原が見ている夜空に浮かぶオーロラのように原の心をうめ尽くした。 それから寂しさをまぎわらすようにトミーと会い続けたが。 それが「愛」でない事が分かるのにはそう時間はかからなかった。 つづく パアプウロード表紙に戻る |