放人伝説とは?

放人伝説とは何か?まして放人とは?
それは(ほうじん)とその名の通り解読する事が出来る。

それは混迷と微光の交差する1900年代最後の年、1999年の暮れも押し迫るある午後に起こった。
僕はいつものように年明けからの旅行に備えて準備をし始めていた。
そしていつものように小さな旅行鞄に最小限の荷物を詰め込む為に四苦八苦していた。
やっと準備が終わりひと休みしようと思い椅子に腰掛け、テーブルに足を載せ、いつものブルーマウンテンに口をつけようとした時だった。
「そういえば僕はどれだけ旅をしてきたんだろう?」とふっと思った。
僕はそれまで「人生は旅だ。人は誰もが旅人」と公言し自らそれを具現化してきた自負があった。
そして過去の足取りでも手繰ってみようかとノスタルジックな気分になった事があの放人伝説のプロローグへと繋がるのだ。

僕は今までの旅行を資料として一つのボックスに入れてある。そこには旅日記、地図、その他行った先々のガイド等が入ってる。
その時、事件は起こった。そのボックスには見てそれと解るように「旅人」と大きく書いてある。
少なくても5年間僕はその文字を何の違和感もなく「旅人(たびびと)」と呼んでいた。
しかしその日1999年12月30日、くしくも僕の母の誕生日と同じ日、僕は運命の調べを聞いた。

暮れかかる陽を受け、ただその場に立ち尽くしていた。その世紀の大発見を知って。
この5年間「旅人」と愛情を持って接していたボックスが名称が何と!「旅」という字ではなく「放」という字だったのだ!(単に間違えただけだ!)

僕の5年間は何だったのだろう?薄暗い部屋の中で一人肩を落とした。
すると突然眼の前にまぶしい光が降りてきた。僕は驚きと不安で瞬きもせずその光を見つめた。
そして光の主は言った。
光の主
「もう君の旅は終わりだよ」

「なぜ?もう僕に旅をするなと言う事ですか?」
光の主
「いやいや、生きると言う事は旅をしてると同じ事です。終わりの無い。終わる時は命が止まる時。その終着駅に向かっていろんな駅を通り過ぎ、いろんな人が通り過ぎ。時には故障したり、止まったりする事もある。そして大事な事は線路は続き、幾通りの道もあるという事です。かくかく自分のペースを守り、ゆっくり歩いたり、猛スピードで走り去ったり。そしてそれを決めるのは全て自分自身です。しかしただ宛もなく歩き回る事を私は旅とは呼びません。何かしらの目的を持って、立ち寄りたい街を選ぶ。それは本能でかまいません。」
「音楽でいうなら、コード進行無きアドリブは単なるデタラメだ、という事です。アドリブは一見感情のままに行っているかのようですが、必ずコード進行という枠があって存在してます。人生もそうです。自分のしたい事、立ち寄りたい街、自分のペース、生きたい道。それらをある程度決める事によってアドリブも活きてくる。大切な事はそれは自分自身で創っていかなければいけないという事です」
「あなたは自分の立ち寄りたい街、スピード、生きる道、がほぼ決まっている。したがってもはや旅を超えてしまったのです。これからは放ちなさい。生きながら放って行きなさい。もし立ち止まったら、また旅に出なさい。そして道を捜しなさい。」
「私達はそのような人を「放人」と呼ぶのです」
「それでは私は消える。たっしやでな〜」

「ドラえもーん!」

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